アガンベンの「間」、「無法状態」の「無」をきちんと内面化することの大切さ

アガンベンの「間」
政治的パラダイムとしての内戦
古典ギリシアの「内戦(スタシス)」にまで遡ると「見えてくる」もの
スタシス、都市、家族の「間」、特に、都市と家族の「間」。主権と無法状態の「間」
――都市は家族を包み込むように、家族も絶えず都市に侵入する、そのせめぎあい、その「間」
――家族の中で「法」が一時的に真空状態になり、「主権が政治的に無効化される状態」が発生するときがある、スタシス
(――古代ギリシャでは、「生きること」と「よく生きること」のせめぎあいが発生する、その「間」
――家族の法が真空状態になると、くじによって選ばれた「五人(数はどうでもいい)」が仮の家族を形成する
――その「5人」が都市に吸収されて、安定が訪れる)


「法」が一時的に無効化され「よく生きること」が優先される状態が発生する
どんなに平和な環境でも、「スタシス」が訪れる時がある。

この「法」というものに、普段は囲まれて、保護されて生きているが、
「法」というものは、時と場合によっては「無効化」され
その「無」の真空状態に、人は陥る。

 

そこでは主体のあらゆる側面で、主体と環境
の「間」で無法状態が発生する。

 

その「無」を内面化することは、「よく生きる」上で、とても大切なことであることを
周囲は僕に伝えたかったらしい。
普段の「法」の大切さ、ありがたさ、、
だからこそ「無法状態」を一時経験し、その「無」を心に刻むことの大切さ。

 

僕――その周囲が「無」を教える状態のときに、「錯乱した」「法」の「告発者」にまでいってしまった。ここから長い周り道が始まった。

 

下記の羅列はすべてそんな「無」を作り出す「間」についての箇条書き、メモ

① 話す言葉には、常に権力の力が付きまとう。
言語
1、 言語が取り囲むようにして「存在」する
2、 権力、統治、法が私たちの言語の使用の中で「侵入してくる」
3、 言語は創造的表現を行う。文学、詩、散文などは、言語の使用の経験を「分節化し直して」新たな、言語の使用、展開を行う
 
② 哲学、政治と法、文学の間を往復する運動

1、詩の高みを持つ政治
2、哲学はどのような支配下で行われるか?それを外すための、文学の形象や芸術
3、

③ しるし

1、諸テクストの構造
2、構成
3、表象のされかた、もっというとテクスト自体の提示方法
それらの断片をつなぎ合わせて、ある「展開」を行う
‐‐「思い返す」こと、「寄せ集める」こと
「思い返す」――現在の諸構造のもとの地点までたどり、現在の諸構造を働かせなくすること
――現在の「暗さ」を過去に辿り、現在の「暗さ」を働かなくさせる
「到来する共同体」

④ そもそも存在とは何か?
存在は思考する、が、その思考のベクトルを限定する「力が働いている」「人間」もしくは「動物」
1、 思考と存在の基礎付け
2、 基礎付けるために、絶えず、思考によって、存在の隠れた状態をさぐること
3、 「人間」は、いずれ死ぬ、言語能力をもっている、という二つの特徴
4、 言語について言語でかたることはできる、でも、それは「人間」を通じて、という限定がある。
「人間」は言語を使う、ただ、その言語は学習されてから。言語は使える。でも「所有」することはできない。だから、使用者の中心に奇妙な「否定性」を生み出す。

⑤ サミュエルベケットの混乱
ある形而上学の「一つ目の、根本の諸原則」があって初めて、人は、思考する、存在の本性、「世界」について考え始めることができる
そして、人間と「世界」の間の関係には何か不在のもの、隙間がある――否定性の「場」
存在
――思考の過程は必ずその「場」がなくてはならない。

だから、存在には、否定の力が働き、「人間」は否定性の場自体になり、「人間」は「存在」に到達できないことを余儀なくされる

「人間」は否定的な場からしか語ることはできない

1、「天使たちの言語」と比べ、わたしの「単語の貧しさ」。わたしの「単語」は本質的な仕方で失敗している
2、感覚を言語化することは、難しい。「否定性」――言語の中心の空虚――「単語の貧しさ」を通るから。
逆に言えば、「表現できない感覚を語ることで、否定性を通って語ることで、表現できない感覚を守っている」
3、20世紀文学における「私」という一人称代名詞の問題。
「わたし」や「きみ」が指す参考対象、平たく言えば「現実」とは何か?それはただ非常に特異な「言説の現実」に他ならない。
「私」は「当の「私」を含む言説の現在の審級を現表する人称」を意味する。「私」は語るがそれは言語の「出来事」以上の何物でもない。

⑥ 経験
その核心は、どのように言語を経験するか?に関わっている。
もっというと、言語に先立つ何かがあるということを思う点
言語はそれをなんとか説明しようとする点
がある。
だから、言語化できない経験があるという「事実」が、
言語が経験の全体性や真理を提示できることは「できない」というでかい考え、「点」を形成する。

言語と「言語化できない」諸システムと規則とは等価ではない

その分裂、分割、「あいだ」という場の基礎(点)
それは、「記号」(その個人、集団などの理解の範囲でわかる言語)と
「意味」(その人だけの、ある集団、組織、文化だけの)の二つに分けられる。
(その間に「点」がある)
現在の「意味」が過去の多くの推論や用法をいかに含んでいるか、そのような過去の推論や用法のうち何がいかに失われ、また別の何かは、奇妙な仕方で生きているか?(言語と権力の関係)

ヘーゲル弁証法マルクスの歴史の弁証法とは違う弁証法をとらえるアガンベン
二項的ないし弁証法的な諸構造を用いるのは、さまざまな現象を特徴付けるため。
とはいえ、彼は「もともとの」分裂ないし基礎付け的な分裂があると指摘している
そのような分裂が、その二項の個々からさらに枝分かれしていって、それぞれの弁証法的進行を特徴付けるべく進んでいく
そこで、彼はその分裂によって現在「産出」「生産」されているものを同定しようとする。

それは、ヘーゲル的な二項対立の解消法、現在から過去へと向かい、基礎付けて統合へと向かう弁証法の基礎付け的な契機の思いもよらぬ「堕落」(自らの内に自らの否定を含む。思考の脱線)をあらわにしようとする。

「歴史は常に勝利者によって書かれる」のか?

当の過去が現在においてどのように表象されているか?

⑧ 例外状態
政治における例外はじつのところ規則。
例外は単に排除されているのではなく、包括もされている
政治的秩序の核心には主権的例外化という捉えどころのない形象が働いている
「非常事態」を宣言して、実効的な仕方で法の支配を部分的に中吊りにすることがある
主権的例外者は、「非常事態」によって法の支配の内側に持ち込まれながらもその外側に残っている
例外状態は外と内のあいだにあり、外と内の両方に効力をもたらす「境界」的空間

芸術
1、 人間は、古いものと新しいもののあいだ、過去と未来のあいだの中間世界にたえず宙吊りにされているという自分の歴史的状態を脱することはできないが、
芸術はその人間の無能力をもとに、
人間が現在において自分の住まいのもともとの寸法を測ることのできる空間自体を作り出すことにふたたび成功する。
その空間において人間は自分の活動の意味をあらためて見出すことができる
2、 イメージは、個々に孤立したものではなく、歴史という巨大な映画からとられた一コマ一コマの写真として解される。
これによってイメージは、予測のつく空虚な美術史の説話を脱臼、混乱させるべく働くことができるようになる(別の声が聞き取られる可能性、ただならぬ結びつきが生み出される可能性)
それは、映画の身振りの断片。
3、 身振りと映画
さまざまな身振りと概念(手段)としての身振り
身振りの構造は、行為と生産という二つのカテゴリーの「あいだ」
その「あいだ」は手段と目的のあいだという偽の対立を無為化しようとする
「身振りとはこれこれの手段性を露呈させること、手段としての手段を見えるようにすること」
そのイメージは生にしみこみ、観客である私たちは構築、再構築するという役割を引き受けなければならなくなる。
その役割によってイメージが自由になり、わたしたちも自由になる。


⑨ ある「ポジション」につく私
詩 哲学 批評(詩と哲学の分裂を通じて産み出されたもの)
アガンベンは、その分裂が再び一つになることに関心はない
探ろうとしているのは、何がとうの分裂の媒体になっているか、いかにその分裂が産出されるかが最もはっきりと示される「点」にある。
その「点」を表象する、それが批評
1、 カフカ
カフカの世界において「正義への扉」を提供するのは「研究」
「研究されているがもはや施行されていない法」
カフカの著作に宙吊り行為
――政治的な意味付けを帯びている非労働――
を見出すこと
カフカの糸巻きの描写
 それは――語るものという人間の属性が与えられている。
 それに対して、家長は不安を覚える――自分が死んでもあの「モノ」は永遠に生き残る。
 物体がその物質的諸部分の総和をはるかに超えたモノへと変容させられる世界のイメージ

自己告発者
 自己告発は、自己を相手どって行うので、無意味、告発を無効、空虚にする
 法を本質というより、システムや構造として露にする

カフカの「城」の測量技師のk
 法に法たる権限のもととなっている境界を混乱させる。
 
カフカの「ある犬の研究」の犬
 犬の主人公が研究対象としている「真理の世界」
 彼は、自分の存在が限界付けられ、低俗なものとみなし、それを超越しようと企てる。
 根本的に変わることの失敗。無能さ。
 若いころギョッとするような一群の犬に出会う
「彼らは話さず、歌わず、沈黙していたが、空っぽの空間から魔法のように音楽をとりだしていた」
そこから、動物的欲望を否定することをねらいとする一連の「科学的」「思考」実験が始められる。
「自分の実験は失敗だったが、自分の科学的な無能さは自分を駆り立てる自由を求める本能にもと付いている」