2019-01-01から1年間の記事一覧

承認をめぐって――日々異なる「風景」の中で、わたしという存在の中の、何が「承認」され、何が「忘却」されるのか?例えば、なぜ「トラウマ」は「承認」されつつ、「忘却」されるのか?(大河内泰樹先生の議論の一部を引用し、まとめた)――

承認をめぐって――日々異なる「風景」の中で、わたしという存在の中の、何が「承認」され、何が「忘却」されるのか?例えば、なぜ「トラウマ」は「承認」されつつ、「忘却」されるのか?(大河内泰樹先生の議論の一部を引用し、まとめた)―― ある「意味領野存…

「病め」とまでは言わないけど、せめて「悩む」「考える」スペースを。(宇野邦一先生の議論を参考に。様々な問題提起をもとに、それを柱に、その間に「わたし」のスペース)

「病め」とまでは言わないけど、せめて「悩む」「考える」スペースを。(宇野邦一先生の議論を参考に。様々な問題提起をもとに、それを柱に、その間に「わたし」のスペース)知覚を通じて認識されるものはすべて疑わしい。それは、デカルトの、西洋古典的哲…

「障害」をもつ「絵」に関する「うつ」研究(松本卓也先生を参考に)

ラカンの5つの「ディスクール(語らい)」と資本主義 「主人のディスクール」 「大学のディスクール」 「ヒステリーのディスクール」 「分析家のディスクール」 「資本主義のディスクール」 ディスクールとは、個人を社会に繋ぎとめる社会的紐帯(lien …

個人的な「傷(「と」絵)」からみんなの「傷(「と」絵)」へ その(1)

個人的な「傷(「と」絵)」からみんなの「傷(「と」絵)」へバトラー先生の「傷」の話。千葉雅也先生によると「あるショックを受けて、まさに、脳のネットワークにばっさりとした、衝撃が起こる。すると、認知過程から思考パターンまで今までと全く別人の…

アガンベンの「間」、「無法状態」の「無」をきちんと内面化することの大切さ

アガンベンの「間」政治的パラダイムとしての内戦古典ギリシアの「内戦(スタシス)」にまで遡ると「見えてくる」ものスタシス、都市、家族の「間」、特に、都市と家族の「間」。主権と無法状態の「間」――都市は家族を包み込むように、家族も絶えず都市に侵…

日本語使うと何が「分」かるんだろうなあ

日本語は、「分かった」 などと言う。 まず、何かを「分け」ないと「了解できない」 珍しいよなあ。 じゃないと、「話が始まらない」 まるで未来が始まらない。 まず、「分ける」、じゃないと「通じない」 日本に帰ってきて、なぜそんなに「分ける」ことに必…

複数の線、傷のケアって、誰の「傷」?

最初の会社がきつかったなあ 手伝い始めて、中国人と16人部屋に寝泊まりし 仕事の「し」もわからんのに、いきなり 「仕事マニュアルを作成しろ」との命令が 一か月で様々な部署、役職をたらい回しにされ、 中国語の通訳、日本人と中国人のトラブル(中国人が…

まず一発目

誰がよりリアリティ持つかの話に大前提として日本語に対する様々な感情があるのね。すみません。わかりませんでした。言葉を、意味を捨てざる得ないという人たちがいっぱいいるんだ。。。(ここからは単語、文章同士の対立があることを前提に。説教臭くなる…