複数の線、傷のケアって、誰の「傷」?

最初の会社がきつかったなあ

手伝い始めて、中国人と16人部屋に寝泊まりし

仕事の「し」もわからんのに、いきなり

「仕事マニュアルを作成しろ」との命令が

一か月で様々な部署、役職をたらい回しにされ、

中国語の通訳、日本人と中国人のトラブル(中国人が低賃金で、上司にいきなりぶん殴られたり、むねぐらつかまえられて、引きずりまわされたりしていた)を調停したりしていた。

マニュアルに、心理学専攻らしく、「心のケアが大事」なんて書いたな。。

 

結局のところ、すべての部署、役職でおまえは使えない!

という結論になった。

「みんな生きるために必死なのよ」

その一言が効いて

最後は、その場の空気で、力関係で、強者になびき、弱者に強い態度をとる人間になっていた。

その会社の社長は、昔、俺様がいじめられて、登校拒否になったこと知っていたのよね。

結局、お前は、トラウマ抱えていても。「曲がるやつ」なんだよ。

今、思えば、別に何かに秀でてなくても、何でも屋でもいいから少しずつ、へらへら仕事やりつつ覚えればよかったものを、、

最後、中国人には「お前は中国的好人」「今度、わたしの故郷に来いごちそうするから」といわれたのが救いだけど、今おもうと微妙。

ある中国人の人は「お金がない。だから、今の状況を受け入れるしかない。」泣きながらか、、

最後、「井の中の蛙大海を知らず」「お前はどん底に落ちろ」という言葉だけが残ったなあ。

 

結局、その会社クビになって、落ち込んで、「グンちゃんは昔いじめられてトラウマがあるのよ、」などといってやさしくしてくれた大学時代の線、、、結局あれは、自分の「風になびく」弱さ見つめてなかったんだな、という結論に痛く落ち込んでいる、わたし。

 

そんな状況をみて、父は「しょうがない、家の手伝いしろ」

 

そこからは、複数の人間関係の束の線。

それぞれの人間関係でも、やっぱり、皆様、俺様がメンタル弱いの承知で

「この人間関係の強度に耐えられれば、まあ、なんとかなるだろう」

という点が、上下強弱あれども、散りばめられている。

 

小学生みたいな思考に戻るけど

複数の線、遠くから見ると、点と点を「足す」「引く」「割る」「掛ける」「重ねる」などなど、やっていた。

「アレンジメント」ってやつね。

耐えられる根性がなかった。

「だめだ」と「この山を越えればなんとかなる」とのせめぎあいで挫折した。

 

そうしたら、今度は、自分ではなく、その人間関係の人たちが

僕とその人たちの間の「点」のところで、周りから「手のひら返し」を喰らってしまった。

その人たちが、周囲から、僕をあんな風にして、虐待だいじめだ裏切りだカネだなど、「冷たい目線」で見られるように。

 

でも、その人たちは、「曲がったりしなかったな」

でも、傷は負った。

こころの傷の「回復」のイメージが語られるようになったのは、90年代からだそう。

 

果たして、「回復」というのは、「誰」に向けられる言葉なのだろうか。

当事者の傷が治ればよいのだろうか?

 

日々変わる「風景」の中で、時折浮かび上がってくる「問題の点」

 

思弁的実在論のメイヤスーは、「神はなんどでも復活する」

などといっていたな。

「一つの物質で世界は一様に変わる」とも言っていた。

 

「日々の暮らし」の中で、何度でも強迫的に復活する「摩擦点」「物質」

 

果たして、それを前にして、わたしはどんな倫理、論理を持つのだろう。